好きってなんだ
誰かに恋愛感情を抱いたことのない人はどれほどいるだろうか。
全くではないはずだが、ほとんどの人は誰かを好きになってしまう。
なぜだろう。
自分自身他人に興味がないと思う。
人の涙に共感して涙を流したり、困っている人を見て助けたいと思うこともない。
友達なんてものはいないし、数少ない、「恋人家族以外であり、知り合っていて連絡を取ろうと思えばとれる関係(いわゆる友達という存在なのだろうか)」の人はいても自分の利益になる場合のみ連絡をする気がする。
詐欺だってなにも思わずできる。そんな人間である。
自分はこんな性格がひどく嫌いであるが、そのことは関係ない。
でも、本当に完全にこんな人間なら好きな人なんていないだろう。
不思議なことに好きな人ができてしまうのである。
この人の為ならば不利益を被ってもいいと思ってしまうのだ。
なんとも不思議だ。
なぜ、「好き」という感情を抱いてしまうのか。
そしてなぜこの感情が必要なのか。
「好きな人」のことを「好き」たらしめるものは何なのだろうか。
いったい「好き」である状態とはどういう状態なのだろうか。
こんな疑問を誰に問いかけても満足のいく結論は得られないだろう。
結論的なものを出したとしてもいろんな疑問がわき出し止まらないはずだ。
せいぜい私が聞かれたら答えるのは「子孫繁栄のために好きになるのだ」というところだろうが、なぜ子孫は繁栄しなければならないのか、とか、繁殖可能なほかの異性でもいいのになぜ「好きな人」を好きになるのかなどについて何も答えてはくれない。
ただ、量子論における多世界解釈的な”たまたま”なのだろうか。
私の「好きな人」が「好きな人」であったのはただの結果の一つで、本当は「ほかの人を好きになっていた」可能性もあったのだろうか。
※量子の世界(この世界を作る元となるめちゃめちゃ小さいモノの振る舞いを研究する分野)ではいろいろな状態が”重なって”存在し、観測された時点でその確率は”収縮”すると言って、一つの状態に決まる。つまり、生きている自分と死んでいる自分ってものは存在するが、観測された瞬間どちらかに”収縮”する。という。
「好き」でいる状態というのは非常に苦しい状態である。
もし創造主がいるのだとしたら問いたい。
なぜ「僕」は、「僕」でなければいけなかったの?