論理の罠ー不倫、浮気肯定派

最近アンジャッシュの渡部健の不倫報道が話題となっている。

それに関して多くの批判がある中、「渡部健は悪くない」などという反対意見もある。

もちろん民法によって不貞行為は悪いことだとされているが、法律は所詮法律であって変わるかもしれない。純粋に本質的なものを考えるために、今回は法律については取り上げないことにする。

 

不倫、浮気肯定派の人は以下のような論理を展開して「浮気は悪くない、仕方のないものだ」と言い張る。

 

①自分はされてもいいから。心が自分にあればいい。

②バレなければそれはもう浮気ではないので、ばれない限りはしてもいい。

③セックスなどをしても避妊もするし迷惑をかけないので、迷惑をかけない限りしてもいい。

④男というものはみな性欲が強い、よって浮気は仕方がない。

まだまだあるが多く耳にするのはこのような論理で浮気は仕方がないことだと言う。

 

果たしてそれは本当なのだろうか。

結論から言えば、間違っていると結論付けることはできない。しかし論理的に間違っているのは明白だ。となる。

 

この記事では論理構造だけを見ることにし、筆者の浮気論は別記事で扱うことにする。

 

論理学において詭弁、という言葉がある。

Wikipediaによると以下のようなものである。

「故意に行われる虚偽の議論」「道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論、論理学で外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法」「実質において論理上虚偽あるいは誤謬でありながら、故意に誤りのある論理展開を用いて、間違った命題を正しいかのように装い、思考の混乱や欺瞞を目的としておこなう謬論」を指す。

 要するに「だますためにあたかも正しいと思い込ませる論法」である。

人は論理的に正当だと思われることを言われると何も言い返す手段がなくなってしまうので、深く考えなければ「詭弁」に対して納得し、支持してしまう危険性がある。

先述したこれらはすべて詭弁である。

後から述べるが、この論法を使う人に騙されてはいけない。

この論法を故意に使う人は、「浮気は仕方ない」と証明するのではなくただ”思い込ませようと”しているのだ。

 

さて、ではこれらの論法がなぜ誤りなのか見ていこう。

 

1.前件否定の虚偽

前件否定の虚偽の例とはまさに①で上げたようなものである。

A「自分がされて嫌なこと(①では浮気)は人にもしてはいけない。」

B「なら自分がされてもいいならしてもいいんだな」

 この構造は単純化すると以下のようになる。

もし P ならば、Q である。

いま、P ではない。

従って、Q ではない。

 この論法は多くの場合成り立たない。

仮に成り立つとしたらPとQが同値(必要十分条件)である時のみである。

これがどういうことかという例を挙げる。

P = 処方箋がある として

Q = 処方箋医薬品をもらえる とすると

例えば処方箋があれば処方箋が必要な医薬品をもらえる。(P→Q)

反対に処方箋が必要な医薬品であれば処方箋がないともらえない。(Q→P)

この二つが同時に成り立っているので、例えば

もし処方箋があるならば、処方箋医薬品がもらえる。

いま、処方箋がない。

したがって、処方箋医薬品はもらえない。

 は成り立つ。逆に言えばこれ以外は成り立たない。

数学的に言えば(興味のない方は読み飛ばしてもらって構わない)浮気の例はPがQであるための十分条件に過ぎないからである。

 

いま、自分がされていやなこと、が人にしてはいけない事。となっている。

仮に自分がされてもいいなら浮気をしてもいいという論理が成り立つと仮定すると、これが成り立つには

人にしてはいけない事、は自分がされていやなこと、のみ。という条件が成り立たなければならない。

つまり、もし殺人をされてもいいとある人が思っているなら、その人の住んでいる世界は「殺人をしてもいい」というルールになっていなければならない、ということである。

 

どれだけこの論法が現実離れした論法かご理解いただけただろうか。

 

 

2.未知論証

未知論証とは「前提がこれまで偽と証明されていないことを根拠に真であることを主張する、あるいは前提が真と証明されていないことを根拠に偽であることを主張する」論法である。これも論理学における詭弁である。つまり論理的ではないということを意味する。

難しいので以下の例を見てほしい。

例えば②の例を見てみよう。

 

バレなければそれはもう浮気ではないので、ばれない限りはしてもいい。

 

これをより構造的に単純化してみよう

 

不貞行為が観測されていないので、浮気をしたと言えない。

したがって浮気をしてもいい。

 さらに

P = 不貞行為の観測

Q = 浮気をしていい

とすると

Pが未知の状態なのでQは正しい。

という構造になる。

ここまでくれば論理的におかしいことがわかるだろう。

PならばQが普遍のものとして定義されていないのにそれを結果としている。

例えばこの構造でこんな例も作ることができる

宇宙の果てはわからないので、果てなんてものはない。

 

3.論点先取の虚偽

論点先取の虚偽とは「起点または原則を当然と見なすこと」である。

③について単純化してみよう。

浮気しても迷惑をかけないので、迷惑をかけない限りしてもいい。

さらに

P = 迷惑をかけない

Q = 浮気をしてもいい

とすると

PならばQとすると

Pが正しいとき、Qが成り立つ

 これは一見正しいように思われる。非常に論理的だ。

どこが間違っているのだろうか。

論点先取という言葉を思い出してほしい。

”論点”を”先取”しているのだ。

つまりどういうことかというと、いま問題にしている論点を正しいものだと先に”定義”しておいてから論を展開しているのである。

以下の例がわかりやすい。

もしBさんという人が仕事を怠けていて、それについて話している場面で以下のようにAさんが言ったとする。

A「Bさんは勤勉な人だから、仕事を怠けるはずがないよ。」

論理上は正しいが、いま”論じている”のは"Bさんが勤勉かどうか"なのに「Bさんは勤勉である」と仮定してから話しているのだ。

 

だから、本当は「Bさんが勤勉」である証明にはそもそもなっていない。

 

4.多数論証(バンドワゴン効果)

これは名前からも明らかだ、説明するまでもないかもしれない。

Xは多数派である。多数派は正しい。故にXは正しい

 見ただけでも間違いの三段論法だとわかる。

多数派が正しいという根拠がどこにもないからだ。

しかしなぜ人は多数派に惹かれるのだろうか。

これがバンドワゴン効果である。

Wikipediaによると

ある選択肢を多数が選択している現象が、その選択肢を選択する者を更に増大させる効果。

 とある。

要するに、多数派の意見というものに反対するより賛成したほうが不利益を被らないためその説明に納得したり、多数派の商品を買ったりしてしまうということである。

 

5.まとめ

さて、ここまで見てきたように、すべて論理的な誤りが多く含まれていた。

しかし早まってはいけない。

もう一つだけ紹介したい。

循環論証

循環論証とは論点先取の中でも、「前提が結論の根拠となり、結論が前提の根拠となる」という形式の推論である。

どういうことか。

 

例えば今まで見た意見はすべて詭弁だった。

私が「浮気不倫肯定論者の言っている事は詭弁だ(屁理屈だ・揚げ足取りだ)。だから間違っている。」

といったとしよう。

 

これが「循環論証」という詭弁なのだ。

 

早まってはいけない。

ここでは浮気不倫肯定論者の詭弁を紹介した。浮気不倫肯定論者の言っている論理は間違っているといっただけで、やっぱり浮気はいけないものだ!と結論付けたわけではない。

ただ、間違っている論理はやはり間違っている。

簡単に人の意見に共感してはいけないということを伝える記事である。

自分と異なる意見を頭ごなしに否定しろといっているわけではない。

ただ、批判的に物事を見る目も必要だということである。

次の記事で、なぜ浮気はしてはいけないのか、筆者の解釈を述べようと思う。